一度、聖地を自らの足で踏まれ、風を吸い、その地で毎日ミサにあずかられますと、それまでなかなか耳になじまなかった聖書の中のカタカナの人名や地名が、それこそ砂にしみいる水のように親しいものとなり、実にみことばが血脈となって体内をめぐりはじめるのを体験されます。
何度も聖地を訪れた方々にとっても、その都度あらたな神との出会い、発見が待っています。それは単なる地理上の旅ではなく、信仰の旅−巡礼だからこそです。風薫るガリラヤの丘と竪琴の湖から、聖都エルサレムの石畳に、イエス・キリストの息使いとみことばを聞いてまいりましょう。特にこの巡礼の間、同行される神父様による日々のごミサが用意されていることで、巡礼の恵みはさらに深まりましょう。多忙な時間のサイクルからはずれて、魂のよみがえりのため、信仰の時空に果敢に旅立ちましょう。
現地の治安については、河谷がたびたび現地入りし、その安全を確認しています。